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1976年(昭和51年)10月(0歳)
- はるか出現(坂戸市伊豆の山町の伊東産婦人科で)
1980年(昭和55年)4月(3歳)
- 入西幼稚園入園。
1983年(昭和58年)4月(6歳)
- 片柳小学校入学。
1983年(昭和58年)5月(6歳)
- 大田区南馬込第2小学校に転校。
1984年(昭和59年)4月(7歳)
- 片柳小学校に転校。
1985年(昭和60年)3月(8歳)
- 父他界。36歳でした。
1988年(昭和63年)8月(11歳)
- 国連見学にニューヨークへ。
1989年(平成1年)4月(12歳)
- 北坂戸中学校入学。ソフトボール部に入部。ポジションはキャッチャーでした。
1991年(平成3年)4月(14歳)
- エレクトーンで、長渕剛の『乾杯』を弾きました。
1992年(平成4年)4月(15歳)
- 秀明英光高校入学、女子水球部創部1期生です。
1994年(平成6年)12月(18歳)
- 競艇試験を受けるも、急激な減量により不合格。体重50kg未満が合格基準だったので頑張り過ぎたのです。当時は痩せていました(本当です)
1995年(平成7)年3月(18歳)
- 競艇浪人でフリーター生活。池袋の喫茶店と新宿のレストランと大山の養老の滝と川越セントラルスイミングスクールを掛け持ちして、1日16時間労働。
1995年(平成7年)6月(18歳)
- 未来の夫と暮らし始め、世帯月収60万円。二人ともよく働くので、親に10万円仕送りしても毎月10万円、余裕で貯金。
1996年(平成8年)3月(19歳)
- 結婚しました。
1996年(平成8年)11月(20歳)
- 坂戸市の小川産婦人科で、長男出産。
1996年(平成8年)12月(20歳)
- 胎盤ポリープで手術。
1997年(平成9年)8月(20歳)
- 新潟県長岡市に転居。
1997年(平成9年)12月(21歳)
- 胞状奇胎で手術。
2000年(平成12年)3月(23歳)
- 坂戸市の清水病院で、次男を里帰り出産。
2000年(平成12年)5月(23歳)
- 長岡市で初起業(ホワイト急便クリーニング取次店)
2002年(平成14年)3月(25歳)
- 長岡市の総合病院で、長女出産。切迫早産で2回入院し、臨月にインフルエンザでも入院。入院ついでにお腹の大きなホクロを2個取りました (笑)。ただ、我が子に黄疸が出たため、親子同時に退院できず、母乳を届けに通院しました。
2002年(平成14年)3月(25歳)
- 埼玉に引っ越すため、クリーニング取次店を廃業。
2003年(平成15年)8月(26歳)
- 調理師免許を取得。
2003年(平成15年)9月(26歳)
- 坂戸で起業(らーめん専門店横綱)
2004年(平成16年)11月(28歳)
- 次女出産。分娩台に上がる前に自分で取り上げ分娩介助費がかからなかったことで、退院時の精算が、出産一時金より安く済みました。
2005年(平成17年)8月(28歳)
- 西入間青年会議所での活動開始(3年間経験させていただきました)
2006年(平成18年)4月(29歳)
- 個人事業主から法人化し、有限会社横綱を設立。定款に、飲食店、託児所 介護予防サービスを記載。第一生命主催の異業種交流会で知り合ったふじみ野市の女性社長が、2回しか会ったことがないのに出資金300万円の内100万円を貸してくれたので、法人の設立ができました。もちろん設立後すぐに返しました。名刺を作り変えると、これまでとは違う対応に変わり、「代表取締役」の効果を知りました。
2007年(平成19年)4月(30歳)
- 坂戸あずま幼稚園保護者会の副会長をさせていただきました。
2008年(平成20年)1月(31歳)
- 大学初受験(長男小6、次男小3、長女小1、次女4歳での挑戦でした)
2009年(平成21年)4月(32歳)
- 山村短期大学保育科に入学。浅羽野中学校PTA副会長も務めました。
2011年(平成23年)3月(33歳)
- 東日本大震災の「計画停電」の影響で、経営難に陥りました。
2011年(平成23年)8月(33歳)
- 大学在学中でしたが、銀行から1年分の経費を借りることができたので、陣痛時・緊急時のお子様お預かり駆けつけサービス!年中無休・24時間受け入れ対応「さかどキッズステーション」を開業。
2012年(平成24年)3月(34歳)
- 山村短期大学を卒業。
2012年(平成24年)4月(35歳)
- 坂戸市議選に立候補。430票でした。
2012年(平成24年)5月(35歳)
- 日本政策学校のスタッフとして活動。講師は政治家が多く、毎週講義に参加。
2013年(平成25年)7月(36歳)
- 市内に80軒あるラーメン店と県内に1軒しかない24時間年中無休の緊急一時保育を天秤にかけ、らーめん専門店横綱の廃業を決定。
2014年(平成26年)3月(37歳)
- 夜中の2時に出勤し、読売新聞を200部配達。1年間配達し、選挙資金を貯めました。
2014年(平成26年)9月(37歳)
- 9年間続けたラーメン店の常連のお客様から夫に「新規ラーメン店の店長に」と声をかけていただき、夫婦別々の仕事をスタートすることに。
2015年(平成27年)1月(38歳)
- 坂戸市社会福祉協議会(坂戸社協)の「視覚障害者支援ボランティア体験講座」で出会った「坂戸パソコンボランティア(坂戸パソボラ)」に入会。障害者へのサポートが、坂戸での「ボランティアデビュー」です。
2015年(平成27年)4月(38歳)
- 埼玉県議選。立候補者1名=無投票当選=有権者の大事な選挙権が行使できないことになってしまうのだけは避けたいとの思いで、立候補を決意。6,444票でした。
2015年(平成27年)10月(39歳)
- ラーメン店のオーナーが他界したことで店長から経営者となった夫を手伝い、昼は保育士、夜はらーめん横綱で接客。
2016年(平成28年)4月(39歳)
- 坂戸パソボラの会計に。坂戸社協の「福祉であいの広場」と坂戸市役所市民生活課の「発見!市民活動フェア」の担当も。
2017年(平成28年)4月(40歳)
- 新年度のスタートを機に、陣痛時・緊急時のお子様お預かり駆けつけサービス!年中無休・24時間受け入れ対応「さかどキッズステーション」に専念。
2018年(平成30年)6月(41歳)
- 「福祉であいの広場2018」の実行委員長に就任。
2019年(令和元年)8月(42歳)
- 職場の職員会議で坂戸市長選への立候補を表明。8月27日から駅立ち開始。
2019年(令和元年)10月(43歳)
- 台風19号で坂戸も大被害。避難所閉鎖の日まで、毎日ボランティアに通いました。その後も被災者の声を聞き続け、片付けに引っ越し、病院や市役所への送迎と、今もお手伝いをしています。
2019年(令和元年)12月(43歳)
- 災害時被災者の支援をするために、防災士試験に合格しました。
2020年(令和2年)2月(43歳)
- 坂戸市長選の「出馬記者会見」。選挙に出るのは3度目ですが、記者会見は初めて。坂戸市の未来を語った2時間でした。
2020年(令和2年)4月(43歳)
- 坂戸市長選に立候補。2,375票でした。
2020年(令和2年)6月(43歳)
- 陣痛タクシーを運転するため、二種免許を取得しました。
2021年(令和3年)4月(44歳)
- 坂戸市ボランティア連絡会の代表になりました。
2021年(令和3年)8月(44歳)
- 市民活動フェアの実行委員長になりました。
2021年(令和3年)8月(44歳)
- 患者さんの搬送や歩行が困難な人を送迎する福祉タクシーのドライバーを始めました。
2022年(令和4年)1月(45歳)
- 埼玉県議補選に立候補。
2024年(令和6年)1月(47歳)
- 輪島市で震災ボランティア。
2024年(令和6年)7月(47歳)
- 鳩山町長選に立候補。